「ははうえ……ははうえ……」
あれはまだ私が十の頃、望月が美し夏の晩のことでした。
その年の夏、私の母は重き病を患い、私は薬師を求め幼き足で山を隔てし隣村までの山道を必死の思いで走っておりました。童女の足では隣村は事の他遠く、気付きし時には、辺りは既に月夜の晩となっておりました。
隣村までの山道は最近鬼が柳の下より出でしともっぱらの伝聞でした。されど、母の命が危うし時、私は鬼に怖れを抱きつつも母を助けたい一心で恐怖を払い除け、月明かりを頼りに山道を走り続けました。
亥の刻に指しかかりし頃、私の足は疲れが極み、走り続けることが叶わぬ足となりました。されど、ここで私が足を休めては母の命が尽きてしまう、そう思い私は痛みし足を引きずりながら望月の山道を歩き続けました。
それから一刻程が過ぎ、とうとう私の足は極みに達し、私はその場に倒れ込んでしまいました。立ち上がり歩きたくとも足がいうことを聞かず、私は母の身を案じながらただ泣き続けることしかできませんでした……。
「どうした? 何をそんなに泣いておるのだ?」
そんな時でした。優しき温もりに包まれし掌が私の頭に覆い被さりました。私に訊ね聞いてくる父親の如く優しき丈夫の声、その声に反応し、私は顔を上げました。
「あ……」
膝を曲げ私の身の丈と同じ高さになり話しかけてくる丈夫の顔に、私は背筋が凍りつき言葉を失ってしまいました。私に声をかけし丈夫の顔は、血の如き朱に染まりし鬼の面に覆われておりました。
私の目の前にいるのは噂に聞きし柳の下より出でし鬼、自分はこれから鬼に食われるのだと身震いし、身体を動かすことが叶いませんでした。
「ハハッ、そう怖れる事はない、何も取って食いはせぬ。然れども、童女にはこの面はちと辛きものがあるな……」
私に謝るかの如く、鬼の面を被りし丈夫はゆっくりと面を外しました。すると、面の中には声に偽りなき優しき顔立ちがありました。
「これで構わぬな。然るに、お主のような童女がこのような刻に何故一人で泣いておるのか、その訳を訊かせて頂けぬか?」
「うん……」
その優しき顔立ちに安堵した私は、その丈夫に事の一部始終を話しました。母が病にて倒れしこと、村に薬師がおらず他に身寄り無き故、私が隣村まで薬師を訪ねに行かねばならぬことを。
「そうか、母上が……」
その刹那、優しき丈夫の顔に哀しき眼が陰ったのを私は今でも覚えております。その私に同情を寄せるかの如き顔は、この方も心のどこかで母を求めているのではないかと、幼心に感じました。
「か弱き童女の足で隣村まで行くのは辛かろう。我が背に掴まるが良い」
そうおっしゃり、その丈夫は己の背を私の方へお向けになりました。私はその丈夫の言を素直に受け取り、その父親の如く広き背に乗りかかりました。
「あったかい……」
父親の如く温かき背に安堵し、私はそのまま丈夫の背で眠りに就きました。そして翌日目覚めし時には既に隣村に着き、私を村まで背負ってくれた丈夫はいずこかヘお姿を消しておりました。
昨晩歩けぬまで痛んだいた私の足は不思議と痛みが取れており、難なく薬師の元まで一人で駆けて行くことが叶いました。
されど、薬師は柳の下より出でし鬼を怖れ村へは行けぬといい、私はいくつかの薬をもらい受けることしか叶わず、半ば失意のまま村へ戻ることとなりました。
「あっ……」
村への山道へ入りし刹那、あの丈夫が私が来るのを待っていたかの如く山道の行く手に御立ちになっておりました。
「母の命かかっている故急を急ぐのであろう。帰りも我が背に掴まるが良い」
「はい……」
その丈夫の厚意に従い、私は再び背に乗りかかりました。
「ねえ、わたしのことを待ってたなら、どうして姿をけしたの?」
背に掴まりながら私は訊ねました。再び私を背負い連れて行く気があったのに、何故途中で姿を消したのだと。
「村で噂になっておろう、この山の柳の下より鬼が出でしと。その鬼が我故に、徒に村に姿を晒す訳には行かぬのだよ」
「おに! あなたが……?」
「然り。我は柳の下より出でし鬼也!」
「ふ〜ん。でもこわいおにじゃないよ、やさしいおにだよ!」
その丈夫は何故自分を鬼と自称なさっていられるのか、その訳は私には教えて下さりませんでした。されど、私にはその丈夫は鬼などではなく、心優しき人にしか感じませんでした。
その後、看病の甲斐あり、母は無事病より解放されました。
それから後その丈夫は村の辺りからお姿をくらまし、村の辺りでそのお姿をお見かけになりしことは二度と叶いませんでした。
されど、あの時感じし父親の如き優しさと温もりは、いつまでもいつまでも私の心に寄せる想いを抱かせ続けておりました……。
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巻一「翼人神奈」
「母上、行って参ります」
かかるほど十五の月日が流れ、時は正暦五年卯月。この年の始め九州より起こりし疫病は全国に蔓延し、多くの人々の命を奪いました。十五年前辛くも病より解放せし我が母もこの年の疫病から逃るることは叶わず、一人私を置き黄泉の国へと旅立って行きました。
他に行宛のない私は伊勢の月讀宮というお方の女官を務めることとなり、母の墓前に手を合わせ、長年住みし村より伊勢へと旅立つこととなりました。
申し遅れましたが、私は名を裏葉と申します。地方の下級役人を親に持ちし母の元に生まれし者です。父は顔も名前も詳しく存じ上げません。亡き母の話によりますと、私の父は私が生まれし前後に母の元へは通わなくなったとの話でした。
「この場所は……」
伊勢へと続く山道を歩く最中、私はふととある柳の下で足を止めました。その場所は、十五年前に私があのお方とお会いした場所でした。
今あのお方はどこで何を為さっているのでしょう……? 十五年前を振り返りながら私はそう思いました。記憶に残りしあのお方のお顔立ちは齢二十弱、まだご存命ならば齢三十弱というところなのでしょう。その齢ならば既に誰かと契りを結んでいるのでしょうが、契りを結んでいて欲しくないと願う限りです。
契りを結ぶ齢と言うならば、私も既に生涯を共とする殿方がいてもおかしくはない齢。現に私の前には数人の殿方が求婚を求めに訪ね参られました。されど、私は尽く殿方の求婚を断わり続けました。我が生涯を共に歩む殿方はあのお方だと、十五年前お方とお会いせしその時から私の中では決まっておりました。故に私は他の殿方の誘いを断り続けていたのです。
「出来得るなら、母上の命尽きし前に現れて欲しかった……」
十五年前、あのお方の背に背負わされし刹那まで痛んでいた足が、朝目覚めし時には既に痛みが取れ、普段のように歩くことが叶いしことを思い起こしながら、私は思いました。これはあの方に直接訊ねたわけでもなく、私の推量に過ぎぬのですが、あのお方は人の痛みを取り払いし不思議なる力を持ちし者だと思うのです。あの時母が病から解放されたのも、薬の効果ではなくあのお方の力ではないのかと、私は常々思っておりました。
然るに、あのお方が再び私の前に現れたのならば、母が患いし疫病をあの方が取り払って下さったのではないかと、無念に思えてなりませんでした。
あの時あのお方の名を訊ね聞いていれば捜しようもあったものの…。十五年前あのお方の名を訊ね聞きそびれしことを悔やみながら、私は伊勢への道中を歩みました。
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「この度月讀宮様の身の回りの世話を行いし女官の任を命じられ、この宮に参りました裏葉と申します」
「うむ、話は聞いておる。これ以後余の身の回りの世話をせし女官の任、宜しく頼み申すぞ」
月讀宮の居ますし社殿に着き、私は月讀宮様の殿上にて着任の挨拶を行いました。月讀宮様は人に非ざる翼を持ちし翼人と呼ばれしお方とのお話でした。されど、我が目の前に居ますし月讀宮様は、齢十後半の人の姫君にしか見えませんでした。
「それと余には神奈という名がある。以後はその名で呼んでもらいたいものだ」
「承知致しました、神奈様」
以後私は月讀宮様のことを神奈様とお呼びになることとなりました。
さて、聞く所によりますと、翼人という者は七日起き三日眠るという者でありまして、それ故多くの女官達が交代で世話をなさらなければならないとの話でした。
始めてその話を聞きし時は俄かには信じ難きことでありましたが、神奈様の世話を数日することによりその話が真であることが分かり、神奈様が人に非ざるお方であるという自覚に至りました。
七日起き三日眠る、それは即ち翼人が人の十倍に値する刻の感覚で生きていることでして、驚くべきことに神奈様は既に二百年に近き刻を生きていらっしゃるという話でした。
されど、事実上の齢は人の二十歳と同じ齢でして、私が当初神奈様のお姿から抱きし齢より若干若き齢でした。
いえ、神奈様のお世話を続ける内に分かってきたことですが、神奈様は言動や仕草が齢より四〜五歳程幼きお人の感じでして、殿方の如き喋り方と言動や仕草が相反し、そのおところが神奈様の愛しきおところでございました。
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「東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ……」
神奈様の主な勤め事はいくつかの年中行事を行うことでしたが、その数はそれほど多くはなく、大概の日が照りし刻は歌などをお聞きになり、ご教養を高めていらっしゃるとのことでした。
「ええい、もう止めよ裏葉。余は萬葉の歌はすべて覚えておる。いまさら覚えし歌を聞かされてもつまらぬ」
翼人というのは人の十倍の刻の感覚で生きているだけではなく、人より遥かに高き記憶力を持ち、一度覚えたことは二度と忘れぬ記憶力を持ちし者との話でした。
「お言葉ながら神奈様、例え覚えていらっしゃるとはいえ、既に覚えし歌を繰り返し学びしこともまたご教養かと」
「つまらぬものはつまらぬのだ。裏葉、何かそなたしか存じぬ話をせよ」
「えっ、私しか存じぬ話ですか?」
「うむ」
突如神奈様から私しか存じぬ話を申せとおっしゃられ、私は暫し頭を悩ましました。私はこの社殿に来るまで、住みし村の外にはあまり出たことがなく、私しか存じぬ話を申せとおっしゃられましても、話す話など思いつきません。
「では神奈様、鬼の話などいかがでしょう?」
「鬼?あの頭に角の生えし末恐ろしき物の怪のことか?そのような話は聞き飽きておるぞ」
「いえいえ、神奈様。これより私が話せし鬼は末恐ろしき鬼ではなく、心優しき鬼の話であります……」
そう言い、私は十五年前のあの望月の美し夏の晩の出来事を話し始めました。
我の事は他言無用、それが私があのお方の口から聞きし最後のお言葉でした。されど、神奈様は人に非ざる者故、お話したところで”人”にはお話になっていないのだからと、半ば言い訳気味に神奈様にお話しました。
「ふむ、鬼と言うても鬼の面を被り、自らを鬼と自称せし者の話か。真の鬼の話ではないのだな。然れどなかなか面白き話であったぞ」
「そのお言葉、有り難き幸せにございます」
話をお聞き為さられしあとの神奈様のお顔には感謝の笑顔が見え隠れ致しました。神奈様を楽しませられたようで、私は満足の限りでした。
「のう裏葉…。もし余がその者に『母君にお会いしたい』と申せば、その者は余を母の元へ連れて行ってくれるであろうか?」
突如神奈様がそのようなことを申されました。その神奈様のお訊ねしことに答えるのに、多くの刻はいりませんでした。
「ええ。きっとお連れになって下さるでしょう」
あの時あのお方が私を救って下さったのは、私が母を失いかけていたからであると私は思っておりました。故に神奈様が母君にお会いなさりたいと申し上げれば、あの方はきっとその願いを叶えて下さると思えてなりませんでした。
「そうか……。余も会ってみたいものだ、その者に」
「では神奈様、二人であのお方にお会いになれるよう願いますか」
「うむ」
あのお方にお会いしたい―はからずも私と神奈様は同じ想いを抱く身となりました。先程言い訳気味にあの方の話をしたと言いましたが、実の所自分と同じ話題を抱くものが欲しかったから神奈様に話したのかもしれません。
こうして以後私と神奈様は親密な仲になっていきました。そして、その我等の願いは思わぬ形で叶うこととなったのです…。
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「従五位衛門大佐柳也、命じられし京内の路頭を彷徨いせし疫病にかかりし者共を、仰せの通り薬師寺に運び終え、その任を終わらせし事を御報告する為参上仕りました」
ほぼ刻を同じくして、ここは京の都。時の関白藤原道隆公のご勅命を終えし柳也という名の一人の丈夫が、内裏にある紫宸殿に姿を現わしました。
「ふむ、ご苦労であった。然るに、本来なら下位の検非違使が行うべき所を、貴殿のような身分の高き者に頼み申して、真に申し訳なかったな」
検非違使とは京内の治安維持を務めし者のことでして、大内裏や諸門の警備が任の衛門府の役人が兼任しており、柳也殿は検非違使佐を兼任しておられるという話です。
「いえいえ、万が一病人から疫病が移りし事を考えるならば、我をおいて他に適任な者がおらぬでしょう」
自分が疫病などかかる筈がないと、柳也殿の言動からは自分のお身体に対する自信が伺われます。
このように、柳也殿は自分に絶対的な自信を持つ方との話です。然れどその自信で自分を奢ることは決してなく、皇族や摂関家の藤原北家に絶対的な忠誠心を持ち、その甲斐あり出生の分からぬ身でありながら従五位の位まで昇進したとの話です。
もっとも、”衛門大佐”などという位は実際には存在しません。これは柳也殿に対する尊称の意が込められ、”大佐”と呼ばれているとのことです。
「畏れ多くも関白殿、我より一つ具申したき事がございます。今年の年始めより流行りし疫病はこの京の都にも蔓延し、多くの者共の命を奪っております。都を警護せし検非違使にも多くの死者が出、都の警備は手薄になり、犯罪の後が絶えぬ現状でございます」
「それは分かっておる。されど、犯罪者共は貴殿が常々捕らえておるので問題なかろう」
検非違使佐の主な業務は検非違使内部の庶務を行うことなのですが、大佐殿は下位の検非違使大尉、少尉が行うべき犯罪者の取り締まりも行っているとのことです。
このように身分が高き者でもその身分に甘んじず、下位の者共が行うべき事を進んで行いしことも、柳也殿が大佐と尊称される所以であると言います。
「いえ、問題は犯罪者共ではなく、民衆であります。疫病により殿上人の多くがお亡くなりになり政に支障をきたしているとはいえ、民衆の政に対する不満が高まっております」
「存じておる。民衆の不満を如何に晴らすかが悩み所よ」
「そこで我に一つ提案がございます。月讀宮と呼ばれし月の使者たる翼人の直の御祈祷により、民衆の信仰を仰ぎ不満を晴らすというのは如何でございましょう?」
「何とっ、つまりは翼人を京の都に招き入れるという事か!?」
「然り」
翼人の名が柳也殿の口から出るや否や、大らかな態度で接していた関白殿の顔に突如焦りが見られ始めました。その焦りはまるで触れられたくないものに触れられた如くの焦りだったという話でした。
「然るにだな大佐、翼人は真の神の身使いにあらせられる者ぞ……。そう易々と民衆の前に晒すのは…」
「だからなのです。どのような神仏を崇め奉るとはいえ、真の神の身使いによる直の御祈祷に敵うものはありますまい。目に見えぬ者を崇め奉るのと実存せし神の身使いの者の御祈祷、両者を比べどちらが民衆の心をより掴むかは言わずもがなでしょう」
「承知致した。貴殿の具申、謹んで陛下に上奏致そう」
「有り難き幸せにございます」
柳也殿の説得により、後ろめたさを見せていました関白殿はついに折れ、柳也殿の具申は天皇陛下に上奏為さることに相成りました。
「然るに、翼人の京までの警護は誰に任ぜよう? 多くの者は翼人に怖れを抱くであろう。翼人の社殿の警護ならともかく、京までの警護など常人にはやり難き事よ」
「仰られる通りでございます。故にその警護は我一人に一任して頂きたい所存です」
「ふむ。確かに貴殿ならば他の者の手を借りずとも警護出来るであろう。然れど、貴殿が赴けば京中の警備に支障をきたす事となる」
「私がおらぬ間の検非違使佐は右衛門佐に兼任させれば宜しいでしょう。何より鬼は翼人など怖れぬ故……」
鬼は翼人など怖れぬ……。自らを鬼と自称為さる柳也殿は、血の如き朱に染まりし鬼の面を被っておりました。
そう―この柳也殿こそ、私が十五年前に助けられ想いを抱き続けているあの方なのです……。
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数日後、柳也殿の具申は無事受理され、柳也殿は神奈様の元へ赴くこととなりました。
「殿下、話は聞き申した。月讀宮の元へ行かれるのですね……」
「晴明殿か。我に何の用ぞ?」
関白殿に神奈様の元へ赴く挨拶を終え大内裏から出立為さろうとしておられる柳也殿の前に、古希を過ぎし一人の翁が現れました。その翁の名は安倍晴明。稀有なる力を持ちし陰陽師であります。
「殿下の腹の内はこの晴明、すべて存じております。事を起こすのはお止め下され」
「疫病により五位以上の者の多くが病に倒れ死に行き、指揮系統は混乱を極めており、それに伴い民衆の不満も頂点に達しておる。晴明殿はこの事態が長らく続く事を望んでおられるのか?」
「殿下が公的なお気持ちから言を発しておられるのなら儂は何も申しますまい。されど、殿下のお心は私的な怨念で満たされております。そのような殿下を月讀宮の元へ行かせる訳には行きませぬ!」
「ならば我を力尽くでも止めるというのか?」
「……。……然り……」
暫しの沈黙を見せた後、強行手段に出るしかないとお思い為さられたのでしょうか、晴明殿は頷いた後精神を集中し始めました。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
「この気配……式神か!」
式神とは一種の霊であり、並の陰陽師では扱い難きこの式神を、晴明殿は自在に操られるとのことです。そのことから晴明殿は京一の陰陽師とお呼ばれになられているとの話です。
「はっ!」
ドゥヒューン!
式神は常人には存在を感知することすら叶いません。されど、柳也殿はどうやら式神を感知できるようでして、晴明殿が式神を出された瞬間、身構えました。
「ヒイ、フウ、ミ、ヨ……およそ十数体の式神を感ずるな……。これだけの式神を自在に操れるとは、流石は晴明殿という所か……」
「ヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイ!!」
「遅い!」
十は超えるであろう式神が一斉に柳也殿に襲いかかりました。されど身構えし柳也殿は式神一体一体の動きを察知し、尽く回避為されました。
ヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイ!!
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」
規則的に向かってくる式神の動きを既に見切った柳也殿は、晴明殿の攻撃を嘲笑うかの如く、目にも止まらぬ素早い動きで式神達を回避し続けました。
「流石に単調な攻撃は通じませんな……。ならば!」
ヒューイ、ヒューイヒューイ、ヒュウーヒュウー、ヒューイィィィィィ!!
「むっ!?」
先程は規則的な動きをした式神達でしたが、今度は横から後からと不規則な動きをし、柳也殿に襲い掛かりました。
「この動き……自らの式神を操りし力を緩め、式神の自由意志に任せたか」
「然り」
ヒュウウー、ヒュウウウー、ビシッ!
「ちぃっ!」
不規則な動きをする式神を回避し続ける柳也殿でしたが、その全ての動きを捉えることは叶わず、数体の式神に捕えられてしまいました。
「臨・兵・鬪・者・皆・陣・列・在・前! 伍體緊縛法!!」
ビシャアッ!
晴明殿が呪法を唱えますと、まるで縄に五体を縛られし如く、柳也殿は五体の動きを完全に奪われてしまいました。
「我を捕えし刹那、呪法により今一度式神を操りし力を強め、我の動きを封じるとは……。流石は晴明殿といった所か……」
「さあ、このまま大人しく身をお引きに為さられませ、殿下!」
「ふん、詰が甘いな、晴明殿!」
ブワッ!
柳也殿が身体の内から気を発しますと、今まで柳也殿を抑え付けし式神達が気圧され、柳也殿は呪法から解放されました。
「何とっ!?」
「式神とは、確か獣の霊であったな。獣というものは自分より強き者に出会いし時は、自ら牙を休めるものよ。その獣の霊を気圧さる事など我には造作もない事……」
式神を沈黙させし次の刹那、柳也殿はその素早き動きで晴明殿の刹那の隙を狙い、晴明殿の背後に回り、その首筋を右手で捉えました。
「くっ……」
「天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月よみの 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てかしも……。老いたな我が師よ。二十余年前の貴殿ならば式神を使わずとも自らの力のみで我を捕えられしものを……」
柳也殿の晴明殿の老いを哀れむ言葉に、晴明殿は柳也殿には叶わぬと悟り手をお休めになられました。
スッ……
晴明殿に攻撃の意志無しとご判断為さられた柳也殿は、晴明殿の首から静かに手をお降ろしになり、朱雀門に向かって歩き始めました。
「ではさらばだ、晴明殿。月讀宮に会いし時には月讀の持てる變若水でも頂いてくるとしよう」
「殿下!」
「殿下殿下言うでない。何度も言うておろう、今の我は”赤い鬼”の柳也。それ以上でもそれ以下でもないと」
そう最後に言い残し、柳也殿は京の都を旅立ちました。時は正暦五年皐月上旬のことでした……。
…巻一完
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※後書き
一年半以上の構想と付焼き刃の文献調査(笑)を経て、ついに「AIR」過去編の二次創作小説の連載が始まりました。この『日月あい物語』は『みちのくKanon傳』、『みちのくたいき行』の世界観を継承した物語で、言うなれば『日月あい物語』は、ドラクエ1〜3におけるドラクエ3にあたる作品です。
さて、肝心の作品に関してですが、一応主人公は裏葉さんで、裏葉さんの視点で物語が進行する形です。この形式を取ったのは、当初から過去編は大河ドラマ調の雰囲気で書こうと思い、ナレーションの役を裏葉さんにしようと思っておりました。当初の予定では柳也を主人公としつつ裏葉さんが語る形式にしようと思っていましたが、いっそのこと裏葉さんを主人公にした方がいんじゃないかと思い、今のような形になりました。
今までの「みちのく」シリーズが男性主観の常体形式だったのに対し、この『日月あい物語』は女性主観の敬体形式ですので、以前の二作品に比べれば異色の小説になるかと思います。
それと、ストーリー展開としましては、原作過去編と史実を下地にしながらオリジナルの設定で進んで行くという感じです。もっとも史実を下地にしているとはいえフィクションには変わりないです。それを言い訳にする訳ではないですが、細かい設定に誤りなどが見受けられるかもしれません。その辺りは勉強して間違いに気付く度に直していくようにするつもりです。
また、今回の話に関してですが、原作における柳也と神奈が出会う前の話という位置付けです。
まんま某大佐のパロディキャラな柳也やオリジナル設定を元にした神奈など、相変わらず原作と性格や立場が異なりますが、その辺りは再構成物だとご理解頂ければ幸いです。
それでは次回でまたお会い致しましょう!
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巻二へ
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